クラウゼヴィッツ
カール・フォン・クラウゼヴィッツは1780年プロイセンのマクデブルク近郊の小さな町に生まれ、十二歳でプロイセン軍に士官候補生として入り、十三歳ではじめて戦場に立った。ベルリンの士官学校を首席で卒業し、プロイセンの軍制改革者シャルンホルストの愛弟子となった。1806年、イェーナの戦いでフランス軍の捕虜となった。ナポレオンとの同盟を潔しとせずプロイセン軍の職を辞してロシアに身を投じ、1812年の対ナポレオン戦争に加わって、ボロジノの会戦とフランス軍の大潰走を目の当たりにした。のちにプロイセン軍に復帰し、ワーテルローの戦役に参加した。その後ベルリン士官学校の校長を十二年務め、『戦争論』の執筆に専念したが、完成を見ずにコレラで世を去った。原稿は妻の手で整理され出版された。