呉起
呉起は紀元前440年ごろ衛に生まれた戦国初期の兵法家で、孫武と並び称され、後世「孫呉」と呼ばれる。魯、魏、楚の三国でつぎつぎに将軍や宰相を務めた。魏では西河を守って諸侯と七十六度戦い、六十四度完勝して一度も敗れなかった。最下級の兵士と衣食をともにし、腫れ物に苦しむ兵士の膿をみずから吸いだしたこともある。楚では変法を主導して貴族の特権を削り、楚をたちまち強国にした。楚の悼王が死ぬと旧貴族が反乱を起こし、呉起は王の遺骸に伏したまま矢を浴びて死んだ。
呉起は紀元前440年ごろ衛に生まれた戦国初期の兵法家で、孫武と並び称され、後世「孫呉」と呼ばれる。魯、魏、楚の三国でつぎつぎに将軍や宰相を務めた。魏では西河を守って諸侯と七十六度戦い、六十四度完勝して一度も敗れなかった。最下級の兵士と衣食をともにし、腫れ物に苦しむ兵士の膿をみずから吸いだしたこともある。楚では変法を主導して貴族の特権を削り、楚をたちまち強国にした。楚の悼王が死ぬと旧貴族が反乱を起こし、呉起は王の遺骸に伏したまま矢を浴びて死んだ。