プーシキン
アレクサンドル・プーシキンは1799年モスクワの古い貴族の家に生まれた。曾祖父はピョートル大帝の養子となったアフリカ人ハンニバルである。ツァールスコエ・セローのリツェイ在学中に、早くもその詩才で老詩人デルジャーヴィンを驚かせた。卒業後は外務省に勤めたが、自由を賛美し専制を諷刺する詩を書いたために、南ロシアと母の領地に六年にわたって流刑となった。デカブリストの乱が失敗に終わったのち、新帝ニコライ一世は彼を召見し、みずから彼の検閲官となった。三十一歳でモスクワ随一の美女ゴンチャロワと結婚したが、のちにフランスの亡命貴族ダンテスが妻に言いより、噂が立ったため、ダンテスと決闘して致命傷を負い、二日後にわずか三十七歳で世を去った。「ロシア詩の太陽」と称えられ、近代ロシア文語の創始者とされる。