リルケ
ライナー・マリア・リルケは1875年プラハに生まれた。父は鉄道職員、母は娘を一人亡くしていたため、幼い彼に女の子の服を着せた。十一歳で陸軍幼年学校に入れられて苦しい五年を過ごし、のちに病気のため退学した。プラハ、ミュンヘン、ベルリンの大学で学び、二十二歳のとき十四歳年上の女流作家ルー・アンドレアス゠ザロメと知りあい、彼女とともに二度ロシアを旅して深い感銘を受けた。二十七歳のとき彫刻家ロダンの評伝を書くためにパリに赴き、のちにロダンの秘書となって、彼から職人のように忍耐づよく「見る」こと、働くことを学んだ。生涯定まった家をもたずに漂泊し、ヨーロッパ各地の城や友人の家に身を寄せたが、最後にスイスのミュゾットの館に落ちつき、そこで『ドゥイノの悲歌』と『オルフォイスへのソネット』を完成させた。五十一歳で白血病のため没した。